昭和41(1966)年
9月6日 会場計画委員会 : 第3次会場計画案提示
《土地利用計画》一般展示ゾーン、シンボルゾーン、レクリエーション・ゾーンについて
《人口環境設備》1ヵ所の冷却プラントで作られる冷水を、地域全般にわたって供給する「地域冷房」方式が採用される。その他、梅雨と盛夏の対応として「人工気候」化が考えられた。
《場内交通計画》《造園計画》《場周計画》
《万国博基幹施設計画》お祭広場、装置道路 (動く歩道) 、サービス施設などについて
9月13日 愛知県、名古屋市 他「万国博協力機関設置準備会」
愛知県と名古屋市、名古屋商工会議所、中部経済連合会など在名8経済団体により、万国博協力機関設置準備会が中部経済連合会事務所で開かれ、「万国博中部協力会」を設立することが決定、10月初めに発足された。因みに行政機関と経済団体が一体となった万国博協力会は、これが初めてだった。
9月14日 海外招請記念在日大使公使招待レセプション
在日大公使を迎えたレセプションは、東京・帝国ホテルにおいて開かれた。会場正面に日の丸と万国博旗が掲げられ、石坂会長、堀田・井上・永野 副会長はじめ協会役員が入口にずらりと並んで、次々と現れる各国大公使を、一人一人握手で出迎えた。この日出席した外国大公使は、アメリカ、ソ連 (当時) など45ヶ国から約180人、日本政府・財界の要人などを加えると総勢約250人で、場内に設けられた博覧会会場案内図の大きなパネルの前には、石坂会長自身が立ち、出席者の質問に答えた。博覧会協会として初めての大公使招待だったので、当時に内遊1日目を終えた佐藤 (栄作)首相もその足で駆け付けた。
9月19日 徳島県 万国博推進委員会 初会合
美化運動の展開、観光事業の強力な推進、出展参加に関する問題などが討議された。
9月20日 和歌山県 万国博推進委員会 初会合
事業を進める方法として、出展、観光、交通の3専門部会を設置することを決定。
9月21日 外国人記者招待レセプション
大公使招待レセプションにつづいて、外人記者団 約200人を東京会館に招いたパーティが開かれた。目的は外人記者団に万国博の特徴を充分理解してもらい、自国に向けてPRしてもらうものだった。
主な招待記者:元日本外国特派員協会 (FCCJ) 会長、ヘッセル・ティルトマン氏/ジブラルタル・ポスト紙 (当時) 、ジェイムズ・R・ロウエル氏/マックグローヒル・ワールドニュース紙 (当時) 、マービン・ペタル氏
9月27日 モントリオール万博 (EXPO'67) の親善使節 来日
カナダの騎馬警官、E.J.リリー軍曹 (当時37) とデイル・ヘンリー伍長 (当時31) が万国博協会を訪れ、両国の万国博の成功を祈った。
9月30日 協会 :国内民間企業、団体などに出展参加招請状を発送
出展参加招請状 (国内) には、参加希望調査アンケートが同封されており、翌日から続々と解答が寄せられることになる。当時の出展機運は高まっていたようだ。
以下次回に続く
9月1日 都道府県知事等157氏に参与委嘱
協会は全国的な万国博協力体制の一環として、都道府県の知事、議長、指定都市の市長、議長、商工会議所連合会の地域別代表者、自治団体全国組織の代表者など157氏に参与を委嘱した。
9月4日 モントリオール万博 (EXPO'67) の親善使節 来日
マックス・コンラッド氏 (当時63) とデービット・シェフラー氏 (当時41) が小型機で来日。万国博協会にモントリオール市長のメッセージを手渡した。
9月5日 外務省、閣議決定に基づき、外国政府、国際機構に公式参加招請状を発送
参加招請状は、赤い合皮ケースに ①石坂会長のメッセージ ②参加案内 ③一般規則 ④一般分類表 ⑤テーマ ⑥コンストラクション・ガイド (建築案内) ⑦万国博覧会の概要 と7種の書類が同封されていた。
協会は全国的な万国博協力体制の一環として、都道府県の知事、議長、指定都市の市長、議長、商工会議所連合会の地域別代表者、自治団体全国組織の代表者など157氏に参与を委嘱した。
9月4日 モントリオール万博 (EXPO'67) の親善使節 来日
マックス・コンラッド氏 (当時63) とデービット・シェフラー氏 (当時41) が小型機で来日。万国博協会にモントリオール市長のメッセージを手渡した。
9月5日 外務省、閣議決定に基づき、外国政府、国際機構に公式参加招請状を発送
参加招請状は、赤い合皮ケースに ①石坂会長のメッセージ ②参加案内 ③一般規則 ④一般分類表 ⑤テーマ ⑥コンストラクション・ガイド (建築案内) ⑦万国博覧会の概要 と7種の書類が同封されていた。
9月6日 会場計画委員会 : 第3次会場計画案提示
《土地利用計画》一般展示ゾーン、シンボルゾーン、レクリエーション・ゾーンについて
《人口環境設備》1ヵ所の冷却プラントで作られる冷水を、地域全般にわたって供給する「地域冷房」方式が採用される。その他、梅雨と盛夏の対応として「人工気候」化が考えられた。
《場内交通計画》《造園計画》《場周計画》
《万国博基幹施設計画》お祭広場、装置道路 (動く歩道) 、サービス施設などについて
会場地図
9月13日 愛知県、名古屋市 他「万国博協力機関設置準備会」
愛知県と名古屋市、名古屋商工会議所、中部経済連合会など在名8経済団体により、万国博協力機関設置準備会が中部経済連合会事務所で開かれ、「万国博中部協力会」を設立することが決定、10月初めに発足された。因みに行政機関と経済団体が一体となった万国博協力会は、これが初めてだった。
9月14日 海外招請記念在日大使公使招待レセプション
在日大公使を迎えたレセプションは、東京・帝国ホテルにおいて開かれた。会場正面に日の丸と万国博旗が掲げられ、石坂会長、堀田・井上・永野 副会長はじめ協会役員が入口にずらりと並んで、次々と現れる各国大公使を、一人一人握手で出迎えた。この日出席した外国大公使は、アメリカ、ソ連 (当時) など45ヶ国から約180人、日本政府・財界の要人などを加えると総勢約250人で、場内に設けられた博覧会会場案内図の大きなパネルの前には、石坂会長自身が立ち、出席者の質問に答えた。博覧会協会として初めての大公使招待だったので、当時に内遊1日目を終えた佐藤 (栄作)首相もその足で駆け付けた。
9月19日 徳島県 万国博推進委員会 初会合
美化運動の展開、観光事業の強力な推進、出展参加に関する問題などが討議された。
9月20日 和歌山県 万国博推進委員会 初会合
事業を進める方法として、出展、観光、交通の3専門部会を設置することを決定。
9月21日 外国人記者招待レセプション
大公使招待レセプションにつづいて、外人記者団 約200人を東京会館に招いたパーティが開かれた。目的は外人記者団に万国博の特徴を充分理解してもらい、自国に向けてPRしてもらうものだった。
主な招待記者:元日本外国特派員協会 (FCCJ) 会長、ヘッセル・ティルトマン氏/ジブラルタル・ポスト紙 (当時) 、ジェイムズ・R・ロウエル氏/マックグローヒル・ワールドニュース紙 (当時) 、マービン・ペタル氏
会場計画図を説明する堀田副会長 (右) 新井事務総長 (左)
9月22日 閣議:日本万国博政府代表に奥村勝蔵氏(外務省顧問:当時)任命を決定
政府は、日本万国博覧会における対外交渉の最高責任者である政府代表の任命を急いでいたが、奥村勝蔵氏を起用することに決め、9月22日の閣議で了承を求めたうえ、正式発令した。
日本万国博の一般規則による政府代表の任務:①外国の参加者に対する約束の履行を保証すること ②展示物品の物的損害に対する保護について必要なすべての処置を執ること ③外国の参加者が施設またはその集団名に、我が国に関係がある地理的名称を使用する場合は、これを承認すること ④博覧会の準備状況等について博覧会国際事務局に報告すること ⑤参加国政府の代表者会議を招集し、その議事に参加すること
政府は、日本万国博覧会における対外交渉の最高責任者である政府代表の任命を急いでいたが、奥村勝蔵氏を起用することに決め、9月22日の閣議で了承を求めたうえ、正式発令した。
日本万国博の一般規則による政府代表の任務:①外国の参加者に対する約束の履行を保証すること ②展示物品の物的損害に対する保護について必要なすべての処置を執ること ③外国の参加者が施設またはその集団名に、我が国に関係がある地理的名称を使用する場合は、これを承認すること ④博覧会の準備状況等について博覧会国際事務局に報告すること ⑤参加国政府の代表者会議を招集し、その議事に参加すること
9月27日 モントリオール万博 (EXPO'67) の親善使節 来日
カナダの騎馬警官、E.J.リリー軍曹 (当時37) とデイル・ヘンリー伍長 (当時31) が万国博協会を訪れ、両国の万国博の成功を祈った。
9月30日 協会 :国内民間企業、団体などに出展参加招請状を発送
出展参加招請状 (国内) には、参加希望調査アンケートが同封されており、翌日から続々と解答が寄せられることになる。当時の出展機運は高まっていたようだ。
以下次回に続く